私は農家。汗びっしょりになり、ふと我が家の田んぼの後ろを振り向いたら、畦草の花がそよそよと風に揺らいでいるのに目が止まった。こんなにシロバナサクラタデがいっぱい。(通常は畦草は生やしていてはいけないのが暗黙のルールなので、皆きれいに刈ってある)左の田んぼは今年植えられていないのに、昨年の残り株から穂が出たのかな。。。左の田んぼのおじちゃんも、右の田んぼのおじちゃんも、昨年の稲刈りの時にはいたのにな・・・。今はもういない。なんとも切ない気持ちとやるせない気持ちと。。。きっとこんなことは全国各地それぞれの地域で着々と起こっていることなんだと思う。あっという間に耕作放棄地のようになる田んぼ。私達にできる範囲はほんとわずか。私達のような離農農地を引き継いでいく農家が増えていくことを切に切に願いつつ。。。
ああ、人生ってこんなに思った以上に短いんだな・・・なんて心から思った。(私が暑さで死にそうだったのかもしれませんが)そうしたら、今まで交わった人達皆に感謝の気持ちでいっぱいになった。なんとなく、それだけなんだな、て。
子どもたちが自分が数えられるだけの数を羅列して、僕は千年生きたいなー 僕は万年!じゃあ僕は百、百、百万年!なんて言い合っているのを聞いて、私にはその感覚が全くないことに気づき(むしろ長生きするのは辛いと思っている)、はっとしたのと同時に、まだこの世界に降り立ったばかりの子どもたちは生きる喜びで包まれていることに、少し羨ましさとそして嬉しさを感じた。
こどもたちが図書館でDVDを借りていたので、私も遠い昔観た記憶があるけれどどんなだったかな?もう1度観てみたいな、、と「モモ」の映画を借りてきた。
これは、、、子どもたちより大人が観た方がいい!と思った。時間泥棒のあの灰色の顔をした男たちはすでに私達のまわりに至る所に潜んでいる。今の子供達はモモみたいなものなんだな、と捉えると、彼らが持つ時間の花を奪ってはいけないな、奪いたくないな・・・と心から思った。そして、そのままでいいんだ、ていう感覚に強く思わさせてくれた気がする。(そうでなければ、社会?世間?何者か?灰色の男達?に、無駄なことはせず、きちんと規則通りに、生産的な時間の使い方をしなきゃと思わされている自分がいて、それを子どもたちにも強要しなきゃ?それが正しい?なんて思ってしまう気がする!すでに灰色の男達に侵されているな、私。と。)
いつも私は昔観た映画のワンフレーズ、人は皆それぞれの映画の中に生きている。という言葉を思い出す。同じ1つの世界に生きていると思っていたけれど、それぞれ別の物語、別の映画の中の主人公なんだって捉えると、自分と相手、他者が切り離され、やっと自分は自分。他人は他人と思えた。
私は40歳を超え、それでもまだどこかに、大人になったら。。。なんて言葉が自分の中にあったのだけど、この間、延々とバンド織りをしている時に、やっと、本当にやっと、自分は何者かになったりしないんだ、と気づいた。この日々の営みの延長線上が私であり、私の人生。
私は私らしく、時間の花が終わる時まで、自分の物語を愛でていこうと思うこの夏。。。です。そして、少しでも夢を実現できるよう、一歩一歩前に向かおうっと気合いを入れ直している私です。
結局ホームページへの投稿をすっ飛ばしてしまい、報告のみになってしまいました。(ホオルの庭、5月から月1でオープンしていました。6月も山の工房さんの展示をしてたり、米粉のバゲットのワークショップしていたり、いろいろあったのですが・・・投稿できずじまいでした・・・)
7月9日(日)ホオルの庭×映画「TERRA〜ぼくらと地球のくらし方〜」の上映会をしました。パーマカルチャーについての映画。
いろんなことを思い出したり、再確認したり、発見したり、、、私にとってはとても良き刺激となりました。パーマカルチャーは特定の人がするものとか、仕事とかではなく、1人1人の生き方なんだな、と思います。田舎じゃないとできないって思ってたようなことも、全然そんなことない!都会でだってできる、どこでだって。そしてこんなにも楽しい!って思い切り後押ししてくれた内容でした。
とてもわくわくしました。その1つのキーワードに「デザインする」ていう言葉。それは計画するということの意味として使っていたりするようですが、でも誰もがデザインする。ってなんか新しい気がして。暮らしをデザインする。パーマカルチャー・アグリカルチャー、て文化という言葉がくっついています。生産的なものだけではなく、楽しさ、美しさ、心地よさ、そんな要素を自らクリエイトしていく。そこが秘訣のように思いました。時間の余裕を作るという点にしても。
パーマカルチャーは小さな市民運動という言葉がありましたが、できることから小さなことから個人でやるということももちろん大事だけれど、それ以上に、誰かと繋がり共有することの大切さも感じました。1人では続かないことも、仲間がいれば楽しくてもっとやりたくなる。いろんなアイデアが生まれる。輪が広がる。どんどんつながる。そうして、それが大きな市民運動になったりする。
本当に楽しい未来を想像できる、そんなヒントが満載の映画でした。
たくさんの方にお越しいただき、またお話でき、とても良き時間でした。ありがとうございました。少しまたホオルの庭、予定は未定状態に入りますが、気軽に何かあればまたオープンしたいと思いますので、その時はぜひ遊びに来て下さい。
では楽しい夏を!!
映画にも出てきたけれど、ホオルの庭でも毎年のように種を落とし植えてもいないのに勝手に育ってくれる植物の1つ、しそ。しそ、大好きなので、今年もたくさん食べれることに感謝感謝。映画を見て改めて、種で増えるもの、多年草、宿根草、そういうものを中心にした庭づくりっていいなーと思ったり、木を植えるっていうことにも(畑のように耕し、種をまかなくても、何もしなくても実がなり恵みがある!)改めていいなーと思ったのでした。
新年が明けて、はや3月!
私は土の中でじっと春を待つ種のようにじっとしています。(日々は相変わらず農家仕事、お菓子の納品なんかでバタバタとしているのだけど、でも何もしていないイメージなんです)
昨年何かに突き動かされるように開いていたホオルの庭のイベントでさえ、どこか遠い昔の出来事のように思えたり。。。 私どうするの?と日々自問自答しているけれど、答えの出ないうちは動きようがないので、じっとしているのです。
4月から少しずついろんなことが動いて行くはずです。もう少し時間がかかりそうだなあと思っています。
でも静かにじっとしていたおかげか見えない何かが私の中でつながって、運命?のようなものに納得がいったり、大切にしたいものが見えてきたり、私の内部ではそろそろと変化をしていっているように感じるこの頃。
そういう充電期間なんだろうと、今(の状態)を受け入れ、そして今を慈しんでいきたいと思う3月です。
2022年はなんだか遠い記憶のような気がするほど、目まぐるしく過ぎていきました。
なんだろう。なぜか、わくわくした新しい空気とは反対の、悲しさ、寂しさ、絶望、みたいな負の雰囲気の方が強いような(私の気分)年末年始だったなあと思っていたら、そんな負の気分に誘われるように、子どもたちが順番に急性胃腸炎(ノロウィルス)にかかっていった。数日それに付き合っていたら、案の定私もかかり、まさに寝正月。
あったかい日差しの中、横になって、元気になったこども達の様子をおかしく見ていたら、なんとも言えない幸せな気分を思い出した。あ、これ産後の時みたい。何にもせず、横たわり、子どもの息遣いや動き、鳴き声に耳をすます。その時にしかないその時間を味わっていたあの産後の時間。
ちょうどシュタイナー幼稚園をされている虹乃美稀子先生の満月の日に更新される「小さな声が聞こえるところ」というエッセイ(ブログ)を読んだら、“自然の時間”を大事にする〜という山極寿一博士のお話が取り上げられていた。(ぜひ読んでみてください〜)
「自然な時間」とは何か。それは赤ちゃんを育てる親の時間や高齢者の時間、障害者の時間だと言います。つまり、「生産的」ではない時間。
やや、と思う。あ、そうなのか、って。生産的なことを追い求めるがために自分自身に否定的な感情を持ったり、仕事だからとか、時間がないからとか、大人の都合を振りかざしていると、何か大切なことを見過ごしていたりするんだなあ。。。とつくづく思い直した。横たわりながら感じていたあの幸せな気持ちは、自分次第で日常の端々にあるものなのだなと。。
心静かな年始。小さなことに耳をすませていきたい。「自然な時間」を大切に。子どもたちとの時間や他の誰かと共有する時間を楽しんでいきたいなと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
事後報告でごめんなさい。
10月は稲刈りの関係で3週目ではなく4週目の土日に「ホオルの庭」やりました。
この秋の空気のせいか、草木染めがやりたくなります。今月は草木染めやろう!と考えましたが、さてどうしよう。大きなお鍋で糸を煮たり、布を煮たりしたいなーというところですが、時間や材料の手配、お代のことなんかを考えると、そういう本格的な染めはまた別の機会にすることとして、やはりホオルの庭ではもっとお手軽に、準備も簡単に、楽しめるもの〜にしました。
ミニワークショップ:草木絵の具遊び。
今回はくるみの葉っぱと玉ねぎの皮を煮出し、草木染めインクづくりをし、和紙を染めてみました。厚紙を切ってステンシルの要領で。草木ならではの淡い色合いではありましたが、やはり自然のものからいただく色にはあたたかみがあります。実は私も草木のインクは作って遊んでみたことはありますが、何かこれで作品作りをしたことはありません。次はこのインクを使ってシルクスクリーンで作品作りしてみたいなーなんて思い、いつもこのホオルの庭のワークショップで自分自身にも刺激と発見があるのが、とてもうれしく思います。
ホオルの庭のワークショップ。決して子供向けに用意しているわけではありません。むしろ大人向け?初心者向けと言えばいいのかな。お子さんに何か体験させたいと参加してくださる方もいらっしゃるのだと思いますが、大人の皆さんに楽しんでもらいたい、、そして、楽しんでいる横で、自分もやりたい!と言えば、お子さんも一緒にどうぞ〜という感じです。
なるだけ、特殊な道具を使わず、身の回りにあるもので、楽しめるようなもの、、と考えたりはしています。日常の中で思い出して、そうだあれやってみようって、何か手を動かすきっかけとなれば幸いです。
何かに突き動かされるように、4月から「ホオルの庭」を始めると決めて、フライングスタートのような形でしたが(たったまだ3回だけだけど)オープンできました。私にとってはとても大きな1歩で、いろいろまだ試行錯誤の部分、改善点も多々あるけれど、、いろんな気づきがあり、足を運んでくださった方々に本当に感謝でした。そして、7月8月は休みにしたので、頭の中までお休み中だったようなこの2ヶ月。。。
そして・・・私の大好きだったお友達の死。あまりに突然訪れたお別れに、心の動揺は大きく、死を受け止め、私も生きている限り、今を大事に、ちゃんと心して生きていこうって思っても、何かどこかぽっかーんとしていた。
少し話は戻って、昨年の11月。内子にきたjaajaのライブにこどもたちと一緒に行った。音楽に合わせて、ジャイアントステップスという大型傀儡(あやつり人形)集団による大迫力の人形が登場するのだけれど、どの人形も不気味なガイコツ顔。最初、登場した瞬間、ものすごい速さで、1番上の息子、玄ちゃんは外へ逃げ出していった。その玄ちゃんを追いかけた私に取り残された2歳の2番めの息子こうちゃんは、よりにもよって、大きなガイコツ顔の獅子舞にカプッとされてしまい、大泣き。そうそう、なまはげみたいなもんかな。。。
あまりの恐怖。それがあの吊橋効果みたいな感じで、憧れにすり替わったのか、それ以来、毎日朝から晩までjaajaの音楽をかけろとせがまれる。まだ2歳と2ヶ月くらいだったので、言葉も出始めくらいのこうちゃんは、ガイコツをゴアイサツと言い、ゴアイサツするーと、、、。なんちゃってなかぶりものや、背負う操り人形を私達も作ってジャイアントステップスになりきっているこうちゃんをどうしたものか、、、と見ていた半年。あまりに毎日聞き続けたjaajaの音楽。
♪そしてみんなみんなー灰になるー♪
って何十回も歌ってたら、灰になった自分を想像して、はっとした私。
きっと今何かやらねばと強く思ったのは、このjaaja効果かもしれないな。。。
この夏、またjaajaが愛媛に来るって聞いて、皆で行こうって、夏休み最後に見に行った。あんなにジャイアント・ステップスに憧れを持っていたように見えたこうちゃんは、また凍りついていて、、、ああ、あの異常な執着は、幼き心にはあまりにも強烈だったんだな、かわいそうなことをしてしまったなあ・・・と反省。(もう遅いけど・・・)玄ちゃんは全然楽しんでいて、やはり5歳と2歳(もうすぐ3歳)の違いを改めて認識。(ちなみに当時0歳、只今1歳のりっちゃんは、恐れることなく楽しんでいた。。。。性格なのか。。)
でも、今回は終わったあと、ジャイアント・ステップスの人達が近くにいて、人形を触らせてくれたりして、怖かった鬼にもこうちゃんは触れて、最後には満足だったみたい。でもまた見に行きたい?って聞いたら行きたくないって。
でも次の日には、あのガイコツすごかったねー帽子なんかかぶっとったねー
また見に行きたいねーって言ってた。
そして、またjaajaをかけろと言う。。。。(しまった、、また始まってしまった・・・)
でもよーくこうちゃんが歌っているのを聞いていたら、
♪みんなみんなみんなー愛になるー♪
って歌ってた!
そうして、もう夏が終わったわけだけど、今日から9月だし、心を入れ替えて、また新しい気持ちで日々を紡いで行こう。9月からホオルの庭も再開!