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2012-03-29

鹿児島~奄美大島〈3〉

さて、遡って3月頭に行っていた旅行の続きについて書きます。

奄美大島2日目。新緑も美しく、まるで初夏のよう。

この季節にハイビスカスが咲いているのを見ると、やはり別世界!と思う。

この日は1日観光。

まず、大島紬の里に行ってみた。この泥染めの池には、泥染め発祥の地と書いてある。

木々に囲まれた美しい景色の中、泥の中に腰近くまで入り何度も何度も重ね染めをしている職人さんは、自然と一体になっているようだった。

この施設では、糸の泥染めからはじまり、大島紬の図案や整経、色差し、織りあがりまでの行程を見学しつつわかりやすく説明してもらえる。

まず、大島紬の図案を見てびっくり。点描画のように点で図案が描かれている。

大島紬では締め機と言って、縦糸を横糸で締めていく。糸でくくるのではなく、横糸で締めることで、あの点描のような図案を染め分けていくのだ。

そして、これがどこをどう締めるかという図案。

 

これは締められた後の糸。何回も説明を受け、実際見ていても、そしてこの図案通りに締めていくとはわかっていても・・・・あまりの気が遠くなる作業に理解しがたいものがある。これがまた縦糸と横糸とぴったり合って模様ができるなんて。。。

これは織っているところ。1列1列点を合わせて織っていく。織り進んでは、糸を針でひっぱったりしながら、模様をぴったりと合わせていくのだ。

私には見えないくらいの小さな点である。糸が細ければ細いほど点も小さく模様が繊細。

まだまだいくつもの行程を踏み、しかも分業制なので、たくさんの職人さん達の手を経て大島紬は生まれるのだ。つくづく、このようなもの作りを誰が考えたのだろうかと、遠い昔の人々の美意識の高さをはかり知れなく思った。

日本が昔から独自に培ってきた伝統や文化、知恵や暮らしを、改めてもっと誇るべきだと感じた。そしてもっと注目されるべき!だってこんなの、絶対世界中どこ探したって、日本にしかあり得ないと思う。

作業をしている職人さん達は、やはりお年を召していらっしゃる方が多い。特に分業制で行われている大島紬だから、どこかの役割の職人さんがいなくなってしまったら存続していけるのだろうか・・・と心配になる。時代が変わって行っても、大島紬に限らず、このように素晴らしい日本独自のものづくりは残って行ってほしいと願う。何か自分にできること・・・そのような立場ではないかもしれないが、考えずにはいられない。

そして、一度本物を見てみたかった田中一村記念館へ。(これは記念館の建物)

日本画なのだけれど、何か見たことない感じのもの。力強いけれど繊細。美しい色にも、はあ・・・と唸ってしまうような構図にも、なんと表現していいかわからないが、とにかく絵の持つ世界感すべてが素敵だった。彼の人生は壮絶だった。奄美で制作された絵は死ぬまで世に出ることはなかった。ただひたすら自分の描きたい絵のために人生をささげた人だった。

奄美の自然と流れる穏やかな空気、そしてその自然と共に生まれてきたものや、どこに行ってもやさしい島の人達に接し、満ち足りた2日間だった。

帰りに寄った福岡県立美術館で「糸の先へ」という展覧会が開かれていた。

この展覧会の冒頭の部分でこのような問いかけがあった。

太古の昔、糸を最初に発明したのはいったいどんな人なんでしょう。

植物や動物の短い繊維を撚り合わせ丈夫な糸を作る。そしてそれを織ったり編んだりすることで布を作り身を守ったり飾ったりする第二の皮膚を手にいれてきたと。

しかし、現代においてはあらゆるものが機会で生産され、機能的且つデザイン的にも優れた衣服も安く購入できる時代。それゆえに、糸1本1本が持つはかり知れなさに思いを馳せることもほとんどなくなってしまった、と。

その時、妙にはっとした。

この旅を通じ、またこの展覧会を訪れ、糸の魅力、そして糸が導く広く深い世界を目の当たりにし、その世界にますます魅せられているようである。

 

 

 

 

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