昔を知る
前々から祖母の家をリノベーションして私の作業スペースをもう少しちゃんとしたいと計画していたのだけれど、のびのびになっていて、それが最近ようやく動き出しました。
そして何より、まずは掃除から。
祖母と祖父が暮らしていた家の中にはその歴史と共にたくさんのものが残っている。
お宝なんてものは何にもないが、農家だった祖父と祖母の暮らしと共にあったものがそのまま残されている。
中でもたくさん出てくるのは日記。祖父の父、つまり曾祖父のものまで出てきた。
日記と言うより記録と言った方が正しいかもしれない。曾祖父のものは、戦争のこと、飢饉や天災の日時詳細などが記されている。
祖父のものは、日々の出来事、農作物のことがたんたんと記録されている。
これは大正時代の漢字辞書。ほとんど読めない、今では使われていない難しそうな漢字ばかり・・・
この台帳の中は
何やら値段が書いてある。婦人用ワンピースは35円、夏ズボンたったの2円!
昭和19年だから、1944年の戦争が終わる前の年である。
戦争の時代のことは教科書に出てくる歴史上の話として理解していただけだったのが、こうして、実際祖父や祖母、またその曾祖父の時代のものを手にしたことで、今のここまでずっと同じ線上につながってきたことなのだという、変な実感が湧いてきた。
またお米の値段の移り変わりの記録などもあり、お金の価値ってこんなに変わったんだと、改めて時代の移り変わり様に驚いた。
他には、婦人会で教え合ったのか、いろいろな地区の米菓子レシピや洋服のパターン、また織りかけの織りまで出てきた。白地に青で縞柄のフキンのようなコットン素材。父に聞いても誰かが織りをしていた記憶はないと言うので、曾祖母、もしくは祖父の姉妹か・・・
それにしても、私が織りをしたいと思う何かつながりがあったかのようで、小さな運命を感じてみたり。
祖父の日記を見ていても、暮らしの道具を見ていても、昔の暮らしを少し垣間見ることができ、とてもおもしろい。
置いてあっても仕方がないと捨てられるもの達が多数だが、私はせっかく今まで取ってあったものを捨てるのは忍びないと思ってしまう。それはきっと、これを取ってあった祖父祖母の血が流れているんだなと思いつつ・・・ なかなかはかどらない片付けです。