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2011-03-24

祈りの日々

3.11 のあの日 私は朝 ラジオでただならぬ日本の放送を耳にし インターネットでニュースをチェックした。

そして言葉を失った。

それからラジオでもテレビでも繰り返し繰り返し 1日中 日本のニュース。

現実とは思えないような映像に血の気が引いた。ただただ ニュースに耳をすませ ネットで状況をチェックし何が起こっているか把握しようとする日々。

自分のいない日本が大変なことになっている事態は 日本にいなくてよかったねなんて言われても、そんなものとは正反対に 1人取り残されたような恐怖感と悲しみに襲われた。

そんな時に、以前誕生日プレゼントに作って好評だった 折り鶴モビールをいくつか作ってほしいと頼まれた。

ただただ 起こったすべての災難とその中にいる人々の想像を絶する深い悲しみを思うとともに 少しでも良い方向に向かうことを祈るくらいしかできない私は、その思いをこの折り鶴に託すことにした。

そして日本のニュースと共にリビアやイエメンでのニュースも流れている。

今回 別世界で自国のニュースを聞いてはじめて今まで世界のニュースは別世界のもののように思っていたことを実感した。世界で起こっているそれらのニュースの中にも そこには人々の生活があり 彼らにとって大きな悲しみが生まれていたりするのだと。

ラジオで 朝起きてまず自分の持ち得ているものに感謝しましょうと言っていた。自分の家族、あたたかい家、朝ごはん・・・

大きな悲しみを背負ったのは日本だが これを機に 世界中が多くのことを考え(原発のことを筆頭に) そして世界中が日本を見守っているようだ。

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