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2024-09-23

時間の花

私は農家。汗びっしょりになり、ふと我が家の田んぼの後ろを振り向いたら、畦草の花がそよそよと風に揺らいでいるのに目が止まった。こんなにシロバナサクラタデがいっぱい。(通常は畦草は生やしていてはいけないのが暗黙のルールなので、皆きれいに刈ってある)左の田んぼは今年植えられていないのに、昨年の残り株から穂が出たのかな。。。左の田んぼのおじちゃんも、右の田んぼのおじちゃんも、昨年の稲刈りの時にはいたのにな・・・。今はもういない。なんとも切ない気持ちとやるせない気持ちと。。。きっとこんなことは全国各地それぞれの地域で着々と起こっていることなんだと思う。あっという間に耕作放棄地のようになる田んぼ。私達にできる範囲はほんとわずか。私達のような離農農地を引き継いでいく農家が増えていくことを切に切に願いつつ。。。

ああ、人生ってこんなに思った以上に短いんだな・・・なんて心から思った。(私が暑さで死にそうだったのかもしれませんが)そうしたら、今まで交わった人達皆に感謝の気持ちでいっぱいになった。なんとなく、それだけなんだな、て。

子どもたちが自分が数えられるだけの数を羅列して、僕は千年生きたいなー 僕は万年!じゃあ僕は百、百、百万年!なんて言い合っているのを聞いて、私にはその感覚が全くないことに気づき(むしろ長生きするのは辛いと思っている)、はっとしたのと同時に、まだこの世界に降り立ったばかりの子どもたちは生きる喜びで包まれていることに、少し羨ましさとそして嬉しさを感じた。

こどもたちが図書館でDVDを借りていたので、私も遠い昔観た記憶があるけれどどんなだったかな?もう1度観てみたいな、、と「モモ」の映画を借りてきた。

これは、、、子どもたちより大人が観た方がいい!と思った。時間泥棒のあの灰色の顔をした男たちはすでに私達のまわりに至る所に潜んでいる。今の子供達はモモみたいなものなんだな、と捉えると、彼らが持つ時間の花を奪ってはいけないな、奪いたくないな・・・と心から思った。そして、そのままでいいんだ、ていう感覚に強く思わさせてくれた気がする。(そうでなければ、社会?世間?何者か?灰色の男達?に、無駄なことはせず、きちんと規則通りに、生産的な時間の使い方をしなきゃと思わされている自分がいて、それを子どもたちにも強要しなきゃ?それが正しい?なんて思ってしまう気がする!すでに灰色の男達に侵されているな、私。と。)

いつも私は昔観た映画のワンフレーズ、人は皆それぞれの映画の中に生きている。という言葉を思い出す。同じ1つの世界に生きていると思っていたけれど、それぞれ別の物語、別の映画の中の主人公なんだって捉えると、自分と相手、他者が切り離され、やっと自分は自分。他人は他人と思えた。

私は40歳を超え、それでもまだどこかに、大人になったら。。。なんて言葉が自分の中にあったのだけど、この間、延々とバンド織りをしている時に、やっと、本当にやっと、自分は何者かになったりしないんだ、と気づいた。この日々の営みの延長線上が私であり、私の人生。

私は私らしく、時間の花が終わる時まで、自分の物語を愛でていこうと思うこの夏。。。です。そして、少しでも夢を実現できるよう、一歩一歩前に向かおうっと気合いを入れ直している私です。

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