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2011-03-26

ある村にある ある人生

何やらもう使わないマテリアルがあるのでいるかと尋ねられ 同じ村の反対側に住む あるおばあちゃんのうちを訪ねる機会があった。

そしてテキスタイルに興味がある私に いろいろ彼女が作ったものを見せてもらった。

まずもう織りをしなくなった彼女が作っていたものは、

織りのようにも見える、刺繍だ。 織った方が早いのでは・・・と思ってしまうほど緻密な作業。

見渡すと部屋じゅうのテキスタイルは彼女によるもの。

カーテンはもちろん、飾ってある模様入りフキン、スツールをくるんである絵の織りも、ソファーの上のウールの布も、フサフサしたウールのカーペットもすべてだ。

フキンには必ずイニシャル。

白樺の根っこを編む工芸も、編み物も、レース編みもなんでも作ったおばあちゃん。

そして作りためてあるものを戸棚の中から出してきてくれたのだが・・・

驚くほどの刺繍の数々。そして手作業と思えぬ完璧な仕上がり。中には刺繍の土台でさえも手織りだったりする。

何メートルあるのか、クルクルきれいに巻いてしまってあるすかしの入ったカーテンに何枚ものきれいな模様の布地。もちろん端縫いもすべて手縫い。

そういえば 以前織り機をもらったときに うちに織り機を運んできてくれたおばあちゃんにあら、このカーテンあなたが織ったの?と尋ねられたのを思い出した。まさか~と答えたのだが、おばあちゃんたちにとって カーテンを織ったりするのは、日常的なことだったのだと今理解した。

ものすごい手仕事に囲まれて 途方にくれそうになった。どのくらいの時間があればこんなたくさんのものが作れるのか・・・ 

そうするとこれが昔の人々の生活だったのだという。手を止めていることなんてなかった人々。

こんな立派なものをただ戸棚にしまってあるだなんて・・・もったいない気がした。

彼女はテキスタイルの先生でもなければ作家でもなく、売るために作っているわけでもない。私のように自我の表現なーんて欲深いものでもなく、あくまで たんたんと ライフワークなのだ。

そして私がもらったマテリアルってのは 袋にいっぱいのいろーんな糸のはしきれだった。

コーンに巻いてある糸を想像していたから少しびっくりしたけど 彼女の歴史が含まれていてとても貴重なものをもらった気がしてうれしくなった。

彼女の部屋でひと際存在感を示していた絵を織ってある作品に 私はとても魅かれた。

このマテリアルはそれを作るのにはもってこいなので私も挑戦してみようと思う。

80歳を超える彼女は1人暮らし。 彼女はまたこの糸で何か新しいものができたら 見せに訪ねてきてちょうだいねと言った。 おばあちゃんはさみしい1人暮らしなので訪ねてきてくれるのがうれしく、私はいろいろ知らないことを学べるのがうれしいので良き出会いとなった。

そしてもうひとつ発見したことがある。

おばあちゃんが布をひと通り見せ終わったあと、お茶にでもしましょうかねえと言ってコーヒーをいれはじめた。コーヒーだけだと思ったのに、戸棚から次から次へと手作りのクッキーやケーキなどの焼き菓子が出てきてテーブルの上のトレイはまるで小さな洋菓子屋さん。そういえば この間隣のおじいちゃんおばあちゃんご夫婦の家にお茶に招待された時も 机の上は洋菓子屋さん状態だった。何種類も手作りのお菓子が並んだおもてなしに私は大喜びだったのだけれど、お年寄りがお茶するときはこうなんだって!

つくづく昔の人達の暮らしって・・・すごい。

私達はいろいろ開発して便利にして楽ちんになって、そのぶん得た時間があるだろうけど、失ったものに値する価値ある時間を過ごせているのだろうか。

おばあちゃんたちの時代は村中の人がどこかで血がつながっていると言ってもおかしくない。昔は行動範囲が狭いから出会いもせいぜい隣町くらいまでだったのだそう。でも、今ではおばあちゃんのお友達もほとんど亡くなってしまっている。 おばあちゃんの手仕事に囲まれたあたたかい部屋でこういう暮らしがなくなってしまうのかと思うとさみしく思った。

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